アート

日本人満州引揚者を描く【 王希奇「一九四六」高知展】の観賞、手記。その後の展示。

 

・・・2021年11月に【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展】が開催されました。

この度、向井久美子氏が同展を観賞した手記が、日中友好新聞に記載されました事を記事にしました。

彼女自身、旧満州からの引揚げ体験者であり、当ブログ記載のタイトル、画文集「夕焼けの大地」、旧満州からの逃避行 体験手記・魂の木版画の紹介。中国残留孤児の今。の著者であります。

写真:向井久美子氏の手記が記載された、日中友好新聞・2022/2/1日付。

向井久美子氏と私は、カルチャーセンターの木版画教室でご一緒しており、

彼女は版画作品「満州からの引揚状況」をモチーフとして活動中です。

旧満州から日本人の命がけの逃避行があった歴史的事実を、

「先ず、知ることが大切」との思いを一にしてブログに記載しています。

油絵「一九四六」はどんな絵

・・・一方、中国人の画家の王希奇(ワンシーチー)氏も悲惨な日本人満州引揚者の状況を知り、「一九四六年」の大作を制作されました。

2019年10月に日本中国友好協会 宮城支部連合会との連携で【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」宮城展】が開催されました。

今回で4回目、2021年11月に【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展が、開催されました。

写真:大作「一九四六」を観る人、2020年4月10日・王希奇「一九四六」宮城展実行委員会発行。

 

【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展の手記、向井久美子。

巨大な「一九四六」の絵

写真:縦3m・横20m、巨大な「一九四六」の絵。2020年4月10日・王希奇「一九四六」宮城展実行委員会発行。

 

・・・昨年の2021年11月28日から12月5日まで高知市で王希奇さん(魯迅美術学院勤務)が描いた日本人の引き上げの様子「一九四六」展が催されました。

私は初日に見てきました(向井久美子氏)。以下、2022/2/1日付・日中友好新聞より記載します。

敗戦後の日本人の状況。

・・・昭和20年8月敗戦時、旧満州(現中国)には155万人(軍人含む)の日本人がいたと言われています。

因みにその当時、海外全体にいた日本人は旧満州を含め658万人がいたといわれています。

写真:ハルピンから葫蘆島までの移動経路。

侵略していた中国で難民となった日本人は常に危険と隣り合わせ、

飢えや寒さなどで命を落としたり、逃げ隠れながら引き上げの知らせを待っていました。

しかし頼みの日本政府は日本人を現地定住させることを決定しました。

それまで威張り散らしていた日本人に対して、

一部の中国人の報復も始まっていました。

そんな中、自分たちで生きてゆけとは!

つまり日本人は祖国から見捨てられていたのです。

現地にいた日本人はそんな事とは露知らず、

お国を信じて今日か、明日かと日本に帰る日をひたすら待っていたというのに・・・。

写真:当時のハルピン駅、2020年4月10日・王希奇「一九四六」宮城展実行委員会発行。

 

写真家の飯山達雄氏、現地を取材。

・・・昭和21年7月、写真家の飯山達雄さんは、

知人から中国にいる日本人が悲惨な状況にあるのを聞かされました。

そこでカメラを衣服に、フィルムを荷物の底に隠して、

衛生兵に成りすまし葫蘆島に上陸しました。

そしてその時の様子をカメラにおさめ日本に持ち帰りました。

写真は飯山達雄氏「小さな引揚者」(草土文化社、1985)と「遥かなる中国」(国書刊行会・1979)より。

やがて日本人の悲惨で逼迫した様子がGHQを動かし、

アメリカ軍と協力しての引き上げは急ピッチで進むことになりました。

写真が功を奏したかどうかわからないが・・・と飯山さんは記していますが、

その時撮った「遺骨を抱いた男装の少女」と言う写真がのちに王希奇さんの心をとらえ、

油画「一九四六」制作のきっかけになったと王希奇さん自身が語っています。(下記の写真参照)。

 

写真:葫蘆島の引揚者の中に遺骨を抱いた男装の少女、同一人物です(飯山達雄氏撮影)。

 

私も木版画教室に通っていて、10年くらい前からテーマを「満州引揚げ」と決めた経緯は、

飯山さんの写真に衝撃を受け、A3位の大きさの版画を3点ほど作ったことがあります。(向井久美子氏)。

王希奇さんとは比ぶべくもないことですが、未熟な版画だったのに、

もとが胸を打つ写真だったからか、「この通りだった」と涙を流す人がいました

その時、版画のテーマは「満州引揚げ」にしようと決めたのです。

(下記、向井久美子氏作の木版画)。

写真:題「妹は私が守る」・・・日本の博多港に着いた引揚者の中の幼い少女が乳児を背負っている姿に胸を打たれた(飯山氏)。

 

油絵「一九四六」はどんな絵。

・・・さて、墨絵の技法を交えた油絵「一九四六」は、縦3m×横20mのとてつもなく大きなものです。

描いた引揚者の人数はなんと500人、資料集めを含め制作に5年もの月日を費やした力作です。

当然歩きながら見る事になります。

私の記憶に全くない「葫蘆島のざわめき」が聞こえてくるようでした。

因みに私達家族4人は1946年9月、葫蘆島から乗船したという記録があります。

 

その事から私たちが絵の中のどこかにいるような気がして、近寄ったり、

全体が一望できる位置まで下がったりしながら何度も絵を見続けました。

満員の無蓋列車に乗ったり歩いたりして、やっと辿り着いた港なのに、

そこは終わりではなく船に乗るためにまた長い行列に並ばなければならなかった。

本当に日本にたどり着けるのだろうかと、

どの顔も不安げで、汚れて、疲れ切っていた。

大人も子供も笑顔の人は誰一人としておらず、

それまでの苦労が一目でわかる、そんな絵でした。

写真:引揚船に乗ろうとする人・待っている人、(飯山達雄氏撮影)。

王希奇さんは、実際に見たことのない日本人の引揚者の姿を表現するために、

写真や資料などを集めて自分の中で消化して試行錯誤を繰り返しながら絵を完成させたのでしょう。

無から形を描き出す難しさに眠れない夜もあったのではないでしょうか。

私はそんなことをおもいながら薄暗い会場で4時間ほど絵と向き合っていました。

高知展について

・・・高知まで同行してくれた長男が家で「すごい絵だったよ、

父さんも見たらよかったのに」と夫に言っているのを耳にしたとき、

戦争を知らない世代の正直な感想なのだなあと思いました。

高知展のために中心になって動いた91歳の崎山ひろみさんから次のような年賀状が届きました。

「実行委員、スタッフを入れると2800人を超える人に見て頂くことが出来きました。

後半には若い人もたくさんいらしてくださったので、私の満州の歴史の真実を知って欲しいという希望も伝わったのでは・・・と思っています」。

続きまして、崎山ひろみさんの手記が、日中友好新聞に掲載されましたので紹介します

(2022/2/15日付、日中友好新聞・全国版)。

【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展の手記、崎山ひろみ。

・・・【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展】(同展実行委員会主催)を、高知市文化プラザで昨年11月28日~12月5日まで開催されました。

2782人の入場者をお迎えし、地方都市高知では画期的な大成功となりました。

丁度10月ごろからコロナ禍も収まりかけ、県外からの来場者も多くお迎えすることが出来ました。

いろいろな好条件に恵まれ、2800人近くもの方に絵を見ていただけたのですが、第一の要因は王希奇先生の絵の力でした。

日本人の引き揚げ調査。

・・・王先生は2015年ごろ、偶然、飯山達雄氏の遺骨を抱えた子供の写真を見て、「これはどういうことか」と思い、

引揚について調べ始め、来日して多くの引揚げ体験者から聞き取りをしたそうです。

そして「この写真の子供は敵国の子供ではない

戦争の被害者だ」と思ったとのこと。

戦争に直接関係のない弱者が厳しい試練を受けているのです。

王先生は、葫蘆島(ころとう)港に行き、海を見て「子供の泣き声が聞こえてきませんか」。

 

写真:現在の葫蘆島駅(当時のまま)2020年4月10日・王希奇「一九四六」宮城展実行委員会発行。

 

「僕にはいつも聞こえてくるのですよ」。とおっしゃったそうです。

王先生の深い人類愛がこの「一九四六」に魂を与えたのだと思います。

 

「感動」の声広がる。

・・・絵を見た人たちの感動が口コミとなり、広がったことも大きかったと思います。

アンケートには次のような感想が寄せられました。

「圧倒されました。作者が中国人と言うことも驚きました」。

「日本人も戦争被害者なのだという、戦争は絶対悪だという思いが伝わります」。

「引揚当時の表情が克明に描かれていて感動しました。

日本人が中国で犯してきた犯罪を、中国の方がこんな心と目で表現されていることに驚きと敬意を感じました。

これから自分ができることは何か考えたいと思います」

「これほど胸を打つ戦争絵画を見たことがありません。深く悲しい、苦しみが伝わってきます」。

「なんという痛ましい光景。

けれど一人ひとりの中には日本に帰れる希望に光がともっていたでしょう。

秀逸な作品に感謝申し上げます」などでした。

王先生の思いをしっかり受け取ってくださった感想がたくさん見られました。

マスコミの力も大きかったと思います。

新聞やテレビ報道、そして何より王先生とリモートで話しているところを取材し、

テレビで数分の特集にして全国放送してくれたことも多くの来場者につながったと思います。

平和の願い継承を。

・・・1996年に「満州からの引揚者の集い」をつくり、多くの体験者の話を聞く機会に恵まれました。

聞くだけで終わってしまうのはもったいないと思い、

一人一人からの聞き取りをDVDの記録として残していくようになりました。

今60人を超える方からの聞き取りDVDがあります。

記録を生かすため戦争を知らない人たちにも伝えていかねばならないと思っています。

王希奇「一九四六」高知展で王先生の絵に触れ、

満州の歴史を少しでも知っていただきたい。

平和がどれほど貴重なものか感じとっていただきたいと思います。

そして戦争をしない日本であり続けたいと思います。(王希奇「一九四六」高知県実行委員会副委員長)。

崎山ひろみさんから向井久美子氏へおくられた、王希奇「一九四六」のDVDに想う。

・・・崎山ひろみさんから向井久美子氏へおくられた、王希奇「一九四六」のDVDを、

投稿者は幸運にも向井さんから頂きました。

早速、見させていただきました。縦3m・横20mの巨大な絵は、DVDと言えども一べつできるものではありません。

戦争を経験してない終戦直後生まれの私でさえ、10分弱のDVDから、引揚の巨大な群衆と悲惨さは容易に推定できます。

命がけの逃避行を経験なさった拝観者は、

おそらく絵の中に描かれている500人の人々の中に自分の姿を探していらっしゃるのではないだろうか?

20mの絵の長さの距離が、逃避行を経験した距離と同じくらいに長く感じたのではないだろうか?

3mの高さに描かれた空は青かったのか、いや青い空も引揚船に乗り込む前までは、曇って見えていたのかもしれない。

逃避行に疲れた体と心がやっと今、引揚船に乗ることが出来る段階で、曇り空の間にかすかに青空が見えたのか。

DVDを2度見しました後、暫く横になってしまいました。

やはりこの歴史的事実は、知るべきではないでしょうか。

何事も事実を知る事から始まります。中国人である画家王希奇氏は、「母の遺骨を抱く少女」の写真に疑問を持ちました。

そして、自ら調べ背景を知り関係者に聞き資料を集め、全身全霊を込めて書いた貴重な絵であることは、特記されるべきことです。

写真:崎山ひろみさんから向井久美子氏へ贈られたDVD.

 

「一九四六」その後の展示

宮城展

・・・2019年10月に日本中国友好協会 宮城支部連合会との連携で【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」宮城展】が開催されました。

高知展

・・・続いて、2021年11月に【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」高知展】が4回目に開催され、宮城展同様に好評でした。

神戸、長野展

・・・今後の展示予定としては、夏に神戸、その次は長野の満蒙開拓平和祈念館での開催が決まったようです。日中友好新聞全国版。

<【王希奇(ワンシーチー)「一九四六」】展情報>

日中国交回復50周年記念として8月31日~9月4日まで、兵庫県立原田の森ギャラリー(神戸市灘区)で王希奇(ワンシーチー)「一九四六」】展を開催します。

東京展(北とぴあ地下展示ホール)

・・・満州引き揚げを描く迫真の大作、縦3m×横20m。下記パンフレットの上部は、大作の一部です。

写真王希奇(ワンシーチー)「一九四六」東京展パンフレット。

展示会概要

  • 開催日時:2023/1/12~1/15。
  • 開催時間:AM10:00~PM8:00(最終日PM5:00)。
  • 開催場所:北とぴあ地下展示ホール、東京都北区王子1-11-1。
  • アクセス:JR京浜東北線「王寺駅」下車西口出口から徒歩1分。

 

日本人満州引揚者を描く「王希奇」のまとめ

今後の「一九四六」の展示関連の情報につきましては、引き続きお届けできればと思っております。

旧満州から日本人の命がけの逃避行があった歴史的事実を、「先ず、知ることが大切」との思いが届けば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ご参照、

朝鮮半島からの逃避行・中国残留孤児の孤老・残留婦人のなぜ。

同時期に朝鮮半島からの逃避行された方々も同様の経験をなさっていました。

帰国が遅れた残留婦人の方、帰国を果たした中国残留孤児の方々も年を重ねております。

彼らの実情をご覧いただければとの思いで投稿しております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。