アート

木下富雄展、作品紹介。その他(講演会・画歴)

 

・・・忘れえぬ「顔」の版画家、「木下富雄展」が開催されていますので作品を紹介します。

三重県立美術館が、木下富雄氏の生誕100周年を記念し特別展示するものです。

木下富雄展

  • 開催場所:三重県立美術館、TEL0590-227-2100
  • 開催期間:2023/10/11~12024/1/8。
  • アクセス:(JR/近鉄)津駅より徒歩10分。
  • 開催時間: AM9:30~PM5:00(最終日はPM4:30迄)。
  • 講演会:10/14、PM2:00~90分程度。講師、小原喜夫氏。

 

作品紹介

初期作品

・・・棟方志功を始め、日本人の版画家たちが国際的に活躍しだしたことに刺激され、木下富雄も版画を制作し始める。

1952年より版画制作を開始したとされるが、残念ながら確実に同年に制作されたことが明らかな作品は確認されていない。

しかし、近年、作家のもとに残されていた初期作品が発見され、木下の初期の制作が少しずつ明るみに出て来た。

顔1.

 

顔2.

 

その中にはこれまで知られていた1955年の作品よりも以前に制作されたとみられる作品も含まれており、

キュビズム風のものやシュルレアリスム風のもの、果ては完全な抽象画もありその作風は種々です。

 

作品

 

黄緑の少年

作家画独自の様式を確立するに至るまでの試行錯誤がうかがえます。

おそらくその後、(Love)や(Cry)などの、ドイツ表現主義の影響を感じさせる、

人体をデフォルメし、荒々しい輪郭線で表した一連の作品が現れ、こうした人物像が、

のちに幾何学的な形体に還元されていくこととなります。(展示場、キャプション1)

(Love)

 

(Cry)

 

仮面:顔

・・・1957年より木下は平刀や丸刀で突いてギザギザな線を彫っていく突彫りの技法(線彫り)を用いて、

人間の顔を幾何学的な形体に還元していく。

そのこう矢(=きっかけ)となる作品群が「仮面」と題され、ナンバーを付された一連の作品である。

その最も早い作例(仮面No3)では、角ばった輪郭と直線を重ねて人物の顔が表されている。

仮面No3.

 

写真:仮面No3.を部分的に切り取り。

 

そしてこの後、人物像を完全な短形にした(仮面たちNo1)が制作される。

仮面No1.

尚、このナンバーの齟齬には、試作した(仮面たちNo1)は失敗に終わり、

(仮面たちNo2)は構想段階で断念したという背景があるという(小原喜夫氏のエッセー)。

仮面No2.

これらに加え、楕円で人物の顔を表した(仮面たち:赤)や(仮面たちB)が作られる。

仮面たち:赤

 

仮面たち:B

そしてタイトルは「仮面」から「Face」に代わり、伊勢湾台風の被害を主題とした(Face:災害)や公害問題や地域紛争が勃発した

 

習作・空

・・・木下富雄は、「顔」の他には「空」を連想させる作品も一定数手掛けている。

多くの場合、地平線(あるいは水平線)を低くとり、巨大な物体が暗い背景に浮かぶ、

その早い作例が(習作)である。飛行船のような楕円形の物体が大きく描かれ、

その下には暗い大地と画面の中央に向かって急速に収斂する道のようなものが描かれる。

1959年、本作で木下は、国画会の新人賞を受賞した。

習作

この後約十数年にわたり、こうした微妙な光景を表した作品が集中的に制作される。

地表を示唆するような平面と抽象的なモチーフで構成されるそれrsの作品は、むしろ抽象画の範疇にあるようにも思われる。

「習作」と題されているのは、木下自身が捉えきれていない、

名伏しがたい何かを表現しようとしたためであろうか、

次第に具体的なイメージとつながったのか、「空」や「或る日」といった言葉が付されるようになる。

暗い色調で表され、重苦しい雰囲気を讃える画面からは、

公害問題や災害、社会闘争に揺れる不安定な社会情勢が読み取れる。

 

諧謔(カイギャク)の精神(ユーモラスな顔)

・・・1940年代後半、戦後の混乱から抜け出し、社会が経済的に成長して豊かになってくると、

社会問題や世相を反映した作品は少なくなる。また、顔のパーツを線のみでなく、

様々な図形を用いて形成することも試みられ、丸い目をしたユーモラスな「顔」が手掛けられるようになる。

中でも、顔の各パーツを半円で大胆に表した(涙と汗)は、

それまでの木下の手がけてきた「顔」と大きく異なっており、興味深い。

まるでピエロのような顔に見えるが、

この作品は、泪と汗で顔を濡らした甲子園球児を表したものであるという。

涙と汗

また、月のような大きな黄色い顔が表された(Face:夜)、

あるい羽(Face:黒)は「お月さん」、

Face:夜

 

Face:黒

 

お椀を揚げ何かを欲しがっているような子供が評された(FaceFace:黄)は「欲張り」というように、

FaceFace:黄

木下は作品に、あだ名をつけて親しんだという。

そこには人間に対する木下の温かな眼差しがうかがえる。

アルミ合金の顔

版木を基に型を取り、アルミ合金に鋳造した作品。

鋳造メーカーの依頼によって壁掛けとして制作されたという(空摺の作品も同時展示中)。

 

顔・人間の内奥へ

・・・木下は生涯にわたって人間の顔を版に刻み続け、人間の抱える苦しみや愛をそこに表現した。

木下の手掛ける「顔」は、単純化、抽象化された幾何学的な形体ながら、見るものに強い印象を残す。

一人の少女の顔を正面から捉え、力強い線で堂々たる姿を表した(Face少女)は初期の代表作と言える。

アーモンド形の輪郭に、目や口は幾重にも重ねられたギザギザの線で表され、

アフリカの仮面のようである。

そこに個性を読み取ることは難しいが、その堂々たる佇まいは、見る者に確かな存在感を感じさせる。

(Face少女)

 

一方、胸の前で手を交差させ、穏やかな表情を見せる(Face:童女)や

(Face:童女)

 

素朴な造形で、地蔵菩薩のような(Face:合掌1)と(Face:合掌2)などの作品は、

親しみのあるイメージでありながら深遠な精神性を備えている。

(Face:合掌1)

 

(Face:合掌2)

 

木下が最晩年に手掛けた作品もやはり「顔」であった。2007年に制作された(微笑)では、

人類の苦しみや痛みを温かく包み込むような、慈愛に満ちた微笑が表されている。

(微笑)

 

(Face:愛)

 

風景・静物

・・・数はすくないながら、木下がてがけた水彩による風景画も何点か残されている。

木下は晩年、版画作品ではなく、水彩画作品を自邸に飾っていたという。

風景-1

 

風景-2

水彩画(一部に油絵)の描かれた時期や場所の判定にまで至っていないものの、

後者は、鈴鹿周辺とみられる。版画作品においても、風景画が数点あり、

母校である四日市市立富洲原小学校(木下が通っていた当時は富洲原尋常小学校)が創立100周年を迎えた際に制作し、

寄贈した(校庭景色)はその貴重な作例に出会う。本件は2点のみ摺られ、1点は今もなお同校に所蔵されている。

(校庭景色)

一方、晩年は花を主とした静物画も手掛けており、俳句も読んでいたという。俳画の作品も残されている。

これまでの突き彫りによる力強い版画作品とは対照的な淡い色彩による、

繊細な生物表現からは、木下の多彩な側面がうかがえる。

 

その他(講演会・画歴)

・・・小原喜夫氏による特別講演会は、同氏による「木下富雄 その人と作品」から掲載してあります。

講演会(小原喜夫氏)

・・・講演会の時間は、約90分ほどの盛りだくさんの内容であり講演会レジュメから抜粋、ご了承いただければ幸いです。

1.創作版画運動と新版画運動

<創作版画運動>

1904年(明治37)山本鼎(1882ー1946)が、「明星」に自画・自刻・自摺による創作版画「漁夫」を発表。

平塚運一、棟方志功、笹島喜平、金守世士夫、木下富雄、

恩地幸四郎、山口源、高橋力雄、品川工、萩原英雄、佐藤宏、

前川千帆、谷中安規、川上澄夫、北岡文雄、川西英、畦地梅太郎、斎藤清、関野純一郎、鈴木幹事、黒崎彰

 

<新版画運動>

1915年(大正3)渡邊正三郎(1885-1962)が、浮世絵再評価を背景に新版画運動をおこす。絵師・彫師・摺師の分業。

伊藤深水、川瀬巴水、吉田博、橋口五葉、小早川清、小原祥屯、小村雪岱。

 

2.木版画との出会い(1952-1957)

1943年(20歳)満州で肺浸潤となり帰国する。

しばらくして友人の佐藤宏が木版画をやっているのを見て、20歳ごろから木版画を始める。・・・

3.仮面シリーズについて(1957-1958)

黄緑の少年(仮題)試作品1957年末頃、胴体のギザギザの激しい線、

後に「仮面」NO1No2」に転用、仮面の完成、木下独自のスタイルを確立。・・・

4.版画五人展

佐藤宏は結核のため愛知県立大府荘に入院する。そこで鈴木幹二に会い木版画を始める。

それが幼友達へと伝播する。この三人は1957年頃から、日本版画協会や国展に出品し始め、

上記の展覧会でそれぞれ賞をとり、東海の三羽烏と言われるほど活躍する。

版画誌「白と黒」「版芸術」の料治熊太と同郷の佃正道(愛知県立瀬戸窯業高校教師)、

愛知県半田高女の教員で平塚運一から直接指導を受けた岩田覚太郎の両先輩を加えた5人で、

1961年版画伍人展を愛知県美術館で開催する。木下は1965年で退会する。

5.下絵について

木下は詳細な下絵を書かない。
  1. 版木にあらかじめ薄墨を塗っておく。
  2. その上に白チョークで顔の形の四角や丸を書く、後は目の位置、花と口を直線で描くのみである。
  3. 眼の位置から、平刀で波紋のように細かい彫りからだんだん粗く広がって彫っていく。

「版画は下絵から離れることである」という言葉がある。

下絵どうりに彫っていけば正確なものができるが、面白みがなく生きた線が彫れない。

下絵を無視して自由に伸びやかに彫っていく方が良い作品になる。

木下や棟方志功の作り方がこの方法である。

6.突き彫りについて

平塚運一が編み出した技法と言われています。主に平刀で版木にV字のように突いて彫っていく。

一本線を表現するのに、何十倍物時間と労力が入ります。

平塚は古瓦のコレクションをしていて、その文様が風化作用でギザギザになっているのを見て思いついたといわれています。

木下は顔に、佐藤は抽象作品に。

7.色について

木下氏の作品は突き彫りの強い線が特徴ですが、下地やその他の淡い色調も魅力です。

初期、薄墨を丼鉢に作り、それを和紙の上に流し込み、ぼろ布で押さえたり拭いたりして下地を作っています。

基本的には透明水彩絵の具を使用。好きな色は、

レモンイエロー・プルシャンブル―・クリムソンレーキなど。それに薄墨を多用。

8.その他

<和紙>

和紙は厚口を使用。作品の基本は、マチエールに3版と黒を基本、それに耐える厚口の和紙を使用しています。

<黒のつぶし>

黒のつぶしについて、3回ほど上げ刷りを実行、摺りには3時間ほど時間を要する等興味深い情報でした。

画歴など

  • 1923年(大正12) 四日市市富田一色町に生まれる。
  • 1935年(昭和10) 12歳、富洲原小学校卒業。富洲原高等小学校に入学。クレヨンや水彩画など図画は得意で、しばしば学校学年代表となってコンクール出場した。
  • 1937年(昭和12) 14歳、富洲原高等小学校を卒業。名古屋市立工芸学校に入学。
  • 1941年(昭和16) 18歳、名古屋市立工芸学校を卒業。この年満州の奉天造兵廠に勤務する。過酷な気候により肺肺浸潤(20歳)となる。
  • 1946年(昭和21) 23歳、父良三死去、家業を継ぐ。
  • 1952年(昭和27) 29歳、友人の佐藤宏が木版をやってるのを見て、木版画を始める。
  • 1958年(昭和33) 35歳、日本版画協会賞、ニューヨーク・線とジェームス主催版画展2等賞。
  • 1959年(昭和34) 36歳、国画会展新人賞、ジェームズ・ミッチナー著オリジナル版画集「現代版画10人展」出版。
  • 1960年(昭和35) 37歳、ノースウエスト国際版画展でシアトル美術館賞、国画賞。
  • 1961年(昭和36) 38歳、シアトルにて山口源と2人展、国際版画協会ニューヨークより作品2点を出版、版画五人展に参加、佃正道、岩田覚太郎、鈴木幹事、佐藤宏。
  • 1962年(昭和37) 39歳、第3回東京国際版画ビェンナーレ展出品。
  • 1963年(昭和38) 40歳、フィラデルフィア美術館主催 世界現代秀作展出品。
  • 1964年(昭和39) 41歳、新潟美術館主催 国際展受賞作家展出品。
  • 1965年(昭和40) 42歳、版画五人展退会。
  • 1966年(昭和41) 43歳、JAA(日本美術家連盟)東京国際美術展出品。
  • 1971年(昭和46) 48歳、天皇陛下訪英記念、ブリュッセルにて現代日本版画展。
  • 1973年(昭和48) 50歳、ガストン・プチ著 英字版「日本版画44人集」に収録。
  • 1974年(昭和49) 51歳、講談社「現代の版画」一番に原色版2点、白黒版6点。
  • 1977年(昭和52) 54歳、木下富雄木版画展(四日市・空カバ美術サロン)。
  • 1981年(昭和56) 58歳、木下富雄自選展(四日市・空カバ美術サロン)。
  • 1993年(平成5) 70歳、四日市文化功労者。
  • 1995年(平成7) 72歳、木下富雄展(三重県立美術館)。
  • 2005年(平成17) 82歳、四郷版画館開館 木版画三人展  木下富雄、佐藤宏、小原喜夫。
  • 2008年(平成20) 85歳、木下富雄木版画展(四郷版画館)。
  • 2014年(平成26) 91歳、逝去。
  • 2015年(平成27) 追悼展示(三重県立美術館)追悼展(四郷版画館)。

 

新聞記事

・・・新聞記事に木下富雄展(三重県立美術館=津市大谷町、来年1月8日まで)の掲載ありましたのだ紹介します。

写真:作品Face(終焉)=三重県美術館蔵、(2023/12/8日付、中日新聞)。

木下富雄展(三重県立美術館=津市大谷町、来年1月8日まで)

不愛想な三つの顔が、暗闇から向かってくる。画面を覆う細く「ギザギザ」した線は直視するのが痛々しい。

作品Face(終焉)=三重県美術館蔵=と題した作品が制作された当時、作家の地元・同県四日市市では、

急速な工業化による「四日市ぜんそく」の被害が顕在化しつつあった。

作家は今年で生誕100年、2014年に亡くなった。戦前は旧満州で過ごし、

戦後、棟方志功らの活躍に刺激を受けて木版画家としての道を歩き始める。

初期はドイツ表現主義の力強い描写に影響を受けつつも、徐々に幾何学的に人体をかたどるようになった。

安保闘争に伊勢湾台風、そして公害。1950、60年代の世相と対峙しながら彫られた作品には、独特の緊張感と冷たさがと伴う。

どんな心境の変化があったのだろうか。後年の「顔」は何処か温かく、微笑んでいた。(2023/12/8日付、中日新聞)。

木下富雄展のまとめ

・・・私事、カルチャーセンターで講師だった小原先生から、木下富雄展の開催と講演会の案内をいただきました。

先生の講演する講演会の14日に合わせ、木下富雄展を鑑賞し、講演会にも参加ました。

講演会は、コロナ禍後の最高の入場者で(150名の会場130名=後日先生からのお話)と盛況、且つ有意義でした。

先生と木下氏は版画を通じ、公私共にお付き合いが長く、講演では木下氏の身近な生きざままでが伝わってきました。

木版画制作に携わり、後世に残る作品の数々を残した木下氏の偉業と版画に捧げた人生をたたえる展示会と講演会でした。

木版画の持つ生命力と無限の可能性、人間の喜怒哀楽をストレートに伝える表現力に感銘を受けました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。