社会

名古屋男性合唱団演奏会、「棄民」満蒙開拓平和記念館

 

・・・満壕開拓平和祈念館10周年を記念し、長野県阿智村にて10月7日、名古屋男性合唱団の演奏会が開かれます。

当ブログ掲載の画文集「夕焼けの大地」の著者、向井久美子氏から合唱団演奏会の案内状をいただきました。

以下、同演奏会及び「棄民」等についての記述と情報は、主に同案内状から抜粋したものです。

名古屋男性合唱団演奏会

・・・名古屋男性合唱団の演奏会が、満壕開拓平和祈念館10周年を記念し、長野県阿智村にて開かれます。

名古屋男性合唱団演奏会in阿智の案内状:(絵)香月泰男、シベリヤ・シリーズより「運ぶ人」(香月泰男美術館)。

 

  • 名 称:満蒙開拓平和記念館10周年記念 名古屋男性合唱団演奏会in阿智。
  • 開催日:2023年10月7日(土)。
  • 場 所:阿智村中央公民館ホール。
  • 時 間:14:30開場、15:00開演。
  • 入場料:無料(但し、入場整理券必要、入手先は記念館)。
  • アクセス:阿智村役場隣、飯田山本ICから5分。
  • 満蒙開拓平和会館:〒395-0303長野県下伊那郡阿智村駒場711-10。TEL/FAX:0265-43-5580。

 

演奏会プログラム

Ⅰ、ピアノ・フルート独奏

<ピアノ独奏:掛川遼平>
  • ショパン英雄ポロネーズOP.53,他。

<フルート独奏:筧 孝也>

  • 「歌の翼」による幻想曲。
  • 「アルルの女」第2組曲よりメヌエット。
  • 荒城の月 滝廉太郎作曲。

Ⅱ、賛助出演

<うたごえサークルやまなみ>
  • 「望郷の旅路」・・・作詞・作曲:佐々木昌。アコーディオン:池田忠久/ピアノ:山内智子。指揮:佐々木昌。
<うたごえサークルやまなみ+混声合唱の集いSing&Talk有志>
  • 「鶴」・・・ガムザトフ作詞、フレンゲ作曲、板山やす子訳詞。
  • 「折り鶴」・・・作詞・作曲:梅原司平。

Ⅲ、棄民

<記念館館長・原作者のお話>
<嘱託創作曲>
  • 男性合唱・フルート・ピアノによる―棄民ー

 

写真:名古屋男性合唱団演奏会(阿智村中央公民館ホール)。

棄民

旧満州国の位置:朱色の地域。

満州国

・・・現在の中国東北部に位置し日本が主権を握った「傀儡国家」とされる。

1931年柳条湖事件に始まる満州事変で関東軍(日本陸軍の満州駐留部隊)が主要都市を制圧。

1932年3月、「清」国最後の皇帝愛新覚羅溥儀を元首に「満州国」の建国を宣言。

「五族協和」「王道楽土」などを掲げたが、権力中枢には関東軍や日本人がいた。

農業移民の開拓団以外にも日本企業が満州へ進出、終戦時に日本人は155万人も住んでいた。

満壕開拓団

・・・「満州国」に送出された農民移民。1936年に「満州農民移民100万戸移住計画」が国策となり、

終戦までに日本全国から約27万人が渡った。長野県は3万3千人で下伊那郡の送出数が最も多い。

国・県が募集の開拓団や、村を挙げた「分村開拓団」、

複数の町村で編成された「分郷開拓団」など、自治体を主体に勧められた。

開拓団を送出した村には国の補助金が出るなど、昭和恐慌で疲弊した村経済再建の方策でもあった。

又軍隊への食糧供出やソ連からの防衛も目的とされ、戦争協力の色合いが濃くなった。

ソ連軍侵攻と敗戦

・・・1945年8月9日、ソ連軍が満州へ侵攻。青壮年男性の多くは軍に召集されており(根こそぎ動員)、

開拓団に残されていた子女、老人たちの逃避行が始まる。

一部の現地住民らが暴徒化し、略奪や襲撃が相次ぎ、各地で日本人の集団自決も起こる。

さらに終戦後はソ連軍の占領下で祖国への帰国が叶わず、

避難民生活の中で飢えと寒さと病気で犠牲になった人も多く、残留孤児・婦人がうまれる。

終戦後の1946年5月からようやく引き上げが始まる。葫蘆島の港が引揚港となり、

人々は中国内地で混乱する中、大移動を始め、主にアメリカ軍艦で約2年間に105万人余が帰還。

しかし残留を余儀なくされた人たちのほか、シベリア抑留中国内陸に留用された人なども大勢いた。

 

満蒙開拓平和祈記念館

写真:阿智村中央公民館。

満蒙開拓平和記念館

開館迄の経緯

  • 2006年 飯田田中友好協会の定期大会で記念館事業採択、建設資金集めに着手。
  • 2008年 阿智村より建設用地無償貸与の申し出をいただく。
  • 2009年 「山本慈昭記念館」事業と統合。
  • 2010年 一般社団法人としての法人各取得。
  • 2012年 林野庁、長野県、南信州広域連合より建設補助金確定。
  • 2013年 4月25日開館。
  • 2019年 別館セミナー棟竣工。

 

棄民、満蒙開拓平和祈記念館のまとめ

・・1945年8月9日、ソ連軍が満州へ侵攻。開拓団に残されていた子女、老人たちの逃避行が始まる。

日本人の集団自決、避難民生活の中で飢えと寒さと病気で犠牲になった人々、残留孤児・婦人がうまれる。

終戦後の1946年5月からようやく引き上げが始まる

葫蘆島の港が引揚港となり、主にアメリカ軍艦で約2年間に105万人余が帰還。

当ブログ記事のタイトル画文集「夕焼けの大地」の著者、向井久美子氏が「まず知ることから始まる」と語りました。

我々は、「忘れてはならない、この歴史的事実」を知ることが大切だと思います。

最後に主催者案内状記載のメッセージです。

今春に開館10周年を迎えた満蒙開拓平和記念館、館を拠点に満蒙開拓歴史を語る営みは、

次代へ確かに受け継がれています。

この度の記念行事へ揃ってお出かけいただき、心に沁みる集いになりますよう願っています。

最後までご覧いただきありがとうございました。