社会

【熱田神宮】初詣・幸先詣り、【人気のパワースポット】。「くさなぎ広場」と境内の建造物、信長塀ほか。

 

・・・初詣・幸先詣り【熱田神宮】は、ご神体の草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)がお祀りされております。

伊勢神宮に次ぐ格式の高い由緒ある神社として知られています。

熱田神宮は、熱田の森といわれる19万平方メートルの自然豊かな境内の中に存在します。

2023年、三が日の参拝者数

3年ぶりに新型コロナウイルスによる行動制限がなかった今年の正月三が日。

昨年比17万人増の約142万人が参拝に訪れました。3日には警察の協力を得て、3年ぶりに参拝客の列を制限しました。

(ご参考)コロナ前は、230万を超える参拝者。(全国的に第5位の参拝者数)。

また、熱田の森は2012年12月から一般開放され、従来非公開であった場所が整備されました。

以後数多くのパワースポットに訪れることができる自然豊かな人気の場所となりました。

Contents
  1. 熱田神宮
  2. 【熱田神宮】初詣・幸先詣り、その他。
  3. 熱田の森【人気のパワースポット】おすすめ情報
  4. 「くさなぎ広場」
  5. 信長塀、キムタク参拝
  6. 宝物館、その他。

熱田神宮

写真(2023年):熱田神宮ボード、説明文は下記に記載。

神話と歴史でたどる熱田神宮1900年

・・・熱田神宮は草薙神剣(クサナギノミツルギ)を祀ってより1900年を迎えました。

神剣はもと天叢雲剣(アマノムラクモノミツルギ)といい、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、

出雲国簸(イズモニクニヒ)の川上において八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、その尾より出現しました。

神剣は天照大神に献上された後、瓊々杵尊(ニニギノミコト)降臨(コウリン)の際に、

三種の神器に一つとして授けられ、以降宮中にとどめられました。

第10代崇神天皇のとき、鏡と剣は宮中よりお出になり倭笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ=奈良県桜井市)で祀られ、

第11代垂仁(スイニン)天皇のとき伊勢の神宮にご鎮祭されました。

三種の神器とは八咫鏡(ヤタノカガミ)・草薙剣(天叢雲剣)・八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)をいい、

歴代天皇の皇位の御璽(ミシルシ)として今日まで受け継がれています。

【熱田神宮】初詣・幸先詣り、その他。

年初行事

  • 歳旦際 1月1日 5時~。
  • 初えびす 1月5日 0時~。
  • 歩射神事 1月15日 13時~、本宮・神楽殿前庭にて。

ご利益:皇室の繁栄・国家平穏・健康長寿・開運。

祭神:熱田大神・天照大神・素戔嗚尊・日本武尊 ほか。

2023/12/29、幸先詣り

2022/12/30、幸先詣り

2023/12/29、地下鉄熱田神宮西

2022/12/30、地下鉄熱田神宮西

2023/12/29、参道

2023年1月1日、初詣

写真(2023/1/1、午前0時):熱田神宮初詣、中日新聞。

新聞記事

(2023/12/30)新聞記事

正月三が日の人出は計230万人を見込む。

前年よりも100万人増と予想。31日後3に大はらえ、1日前5に歳日祭、3日前7に元始祭がある。

商売繁盛などを祈る初えびすは5日前0、その年の吉凶を占う世様(よだめし)神事は7日後2から。

初神楽(迎春神楽)は1日前0から。

アクセス情報、1~8日は駐車場は全面使用禁止に。神宮へは名鉄神宮駅前から徒歩3分、JR熱田駅から同8分、地下鉄地下鉄熱田神宮伝馬町駅・熱田神宮西駅から同7分。

上飯田線を除く市営地下鉄各線は31日から1日にかけ、おおむね30分間隔で終夜運転する。

写真:来年の干支「辰」にちなむ竜の絵馬が飾り付けられ、積み上げられた破魔矢=(熱田神宮)

(2023/1/1、中日新聞)

*熱田神宮では、三が日の人出を昨年より35万人はど多い160万人と見込む。(事績:17万人増の142万人)

新型コロナウイルスの感染防止のため、混乱を避けて参拝してもらおうと本殿前の様子をホームページで中継している。(2023/1/1、中日新聞)。

 

2023年1月5日未明、初えびす(上知我麻神社)。

・・・午前零時、授与所で開始の声がかかると、冷え込みの中、待ちわびた参拝者が殺到。

もみくちゃになりながら「こっちこっち」「くださいー」と声を張り上げ、代金の紙幣を握った手を伸ばしていた。

写真(2023/1/5日):縁起物のお札を求め、授与所に押し寄せる大勢の参拝者。

 

三年ほど前から訪れているいう名古屋市中村区の建設会社社員、内山準也さん(32)は「個々の来るようになってから仕事が増え始めた。

自分が成長できる一年になれば」と、うさぎ年で飛躍を誓った。(2023/1/5付、中日新聞)。

お目当ては

・・・お目当ては、祈祷されたばかりの「一番札」福を集めるとする「福熊手」。

境内には午前零時の開始前から参拝者が集まり、境内四か所の授与所が開くと、代金の紙幣を掲げながらもみくちゃに。

「こっちこっち」「ください」など、いち早く手に入れようとする人たちの声が飛び交った。(2022/1/5日、中日新聞記事)。

年中行事

 

歩射神事

写真(2023年1月15日): 13時~、本宮・神楽殿前庭にて、中日新聞。
神職が弓矢で的を射て豊年や厄除けを祈願する歩射神事が15日、熱田神宮で営まれた。

新型コロナウィルスの影響で昨年まで中止となっていた参拝者による、

木片「千木」(ちぎ)の取り合いが三年ぶりに行われ、会場は熱気に包まれた。

神事は直径1.8メートルの大的の中央と四方に五つの千木を取り付け、

中央にある縦18センチ、横5.5センチの千木を狙って六人の神職が交代で計36本の矢を放つ。

この日は2本の矢が中央の千木に命中し、「ドンッ」と音がすると会場からどよめきが起きた。

写真(2023年1月15日):大的に付けられた千木に飛びつく参拝者ら、中日新聞。

千木や的は魔よけのお守りになるとされ、最後の矢が放たれると同時に、

集まった参拝者の一団が的をめがけて全力疾走。

五つの千木や的を奪い合った。中央の千木を手にした一宮市の会社員後藤弘明さん(35)は「もう幸せ」と破顔し、

「家族みんな幸せな一年になると願っています。健康に過ごせたらと」と話した。(2023/1/16日、中日新聞)。

 

祈年祭(2022/3/17):五穀豊穣と産業の繁栄を祈る。

・・・トシゴイノマツリとも呼ばれる新實祭と並ぶ大祭で、トシは、稲を意味します。

写真:豊作を祈る神職ら(2022/3/18付、中日新聞)。

県内の農業関係者でつくる「豊年講」の20人も参列しました。

雅楽の音色響く中、宮司らが野菜や魚を供えて祝詞を奏上し、参列者が玉ぐ玉串をささげました。

境内にある摂社の御田(みた)神社では、カラスに供え物を食べてもらうしぐさをする「烏喰の儀」(おとぐいのぎ)も執り行われた。

又、狩衣(かりぎぬ)姿の神職が「ホーホー」と唱えながら、供え物を近くの土用殿の屋根に投げました。

その他、奉納など

熱田神宮刀剣並びに技術奉納奉賛会

・・・日本刀の職人が刀剣の研磨や鞘作りの技術を奉納した。

岐阜・岩手・京都の三府県の研磨師と鞘師計四人が本宮拝殿前に作業台を構え、

粗さの異なる砥石で刀身を磨いて切れ味や美しさを引き出したり、刀を収める白木の鞘を作ったりした。

写真:日本刀の研磨などの技術を奉納する職人。

全国各地の職人で作る「熱田神宮の刀剣並びに技術奉納奉賛会」毎年8月に行い、25回目。

熱田神宮が祀る草薙神剣の神前で技を奉納することで、伝統文化を継承し、参拝客に知ってもらうのが狙い。

参拝客は直接見ることの少ない職人の技術を間近で興味深そうに眺め、

写真に収めたり、工程について職人に尋ねたりしていた。

職人の手ほどきで参拝客が作業に加わる場面もあり、刀が形作られていく過程に触れていた。

奉賛会長で日本刀の鑑定や研究に取り組む高山武士さん(79)=東京都調布市=は、

「刀は日本独自の文化だが、戦後は非日常のものとなってしまった。

刀が持つ機能性精神性、美を身近に感じてもらえれば」と話した(2022/8/22日付、中日新聞)

新海苔奉納、「海苔の日」

写真(熱田神宮で):新のりを本宮へ運ぶ組合員。

2月6日「海苔の日」、県内ののりの生産業者や問屋らが、熱田神宮で新のりを奉納し、豊作や業界の発展を祈った。

愛知県海苔問屋協働組合や愛知県海苔昭和会が2007年から続けており、この日は組合員11人が参加。

伊勢湾産の新のり8百枚をざるに載せて南門から本宮まで運び、神前に供えた。

今季は国内最大の養殖ノリの産地である有明海での記録的不作の影響で価格が高騰し、業界は苦境に立たされている。

参加した鬼崎漁協(常滑市)の鈴木組合長(53)は「気持ちが引き締まる。

4月まで続く収穫期の後半も色落ちのない上質な海苔が採れれば」と願った。

海苔の日は、のりを税として納めることを定めた大宝律令の施行日にちなみ、業界が1966(昭和41)年に制定した。(2023/2/7日、中日新聞)。

例祭「熱田まつり」

・・・写真:夜空に浮かび上がる「熱田まつり」の献灯巻きわらと花火=5日夕(2023/6/6、中日新聞)。

名古屋市熱田区の熱田神宮で5日、例祭「熱田まつり(尚武祭)」があった。

正式には熱田例祭と称され、一年で最も重要な祭儀とされる。

夜には恒例の奉納花火が打ち上げられ、多くの見物人が光の演出を楽しんだ。

境内の東、西、南の三つの門には、無病息災を祈る「献灯まきわら」計五基が点灯。

地元住民らが、一年の日数と月数を合わせた377個の提灯を半球形に装飾したという。

ぬくもりある明かりと約千発の花火が熱田の夜を照らし、初夏の訪れを告げた。

熱田区千年の水野敏平さん(75)は「天気が良くてほっとした。

献灯まきわらを続けていけるよう若い人たちにもっと関わってもらえたら」と願った。

参考:昨年の例祭「熱田まつり(尚武祭)」記事

・・・写真:初夏の夜空を彩る献灯まきわらと打ち上げ花火=5日夜(2022/6/6中日新聞)。

令和4年6月5日夜、三年ぶりに花火が打ち上げられた。新型コロナウイルスの影響で一昨年、昨年は中止だった。

近くの神宮公園が点火場所で、会場近くの堀川沿いの道には見物客が詰めかけた。

遊覧船から空を見上げる人たちや献灯まきわらが立ち並ぶ熱田神宮から楽しむ人もいた。

午後7時40分、一発目が轟音とともに夜空を彩ると、子供たちが歓声を上げた。

途中、雨脚が一時強くなったが、約一時間、予定の千発を打ち上げた。

名古屋市中村区の医師山本有厳さん(36)は、90年近く花火を堪能しているという祖母(96)ら家族と親戚計15人と鑑賞。

「祖母が本当に久しぶりに花火を楽しめた。家族が集まれるいい機会にもなった」と喜んでいた。(2022/6/6,中日新聞)。

熱田の森【人気のパワースポット】おすすめ情報

・・・神社札を授かり、時間に余裕ができたので、人気のパワースポットを再度訪れました。

手水舎

2023/12/29現在
2022/12/30(コロナ禍)
写真(2022年12月):左は手を清めるため、竹でつくった流水手水。

 

写真(2022年1月):奥は本殿前の古札納所。手前は手を清めるため、竹でつくった流水施設。

こころの小径、入口と出口の位置。

  • 入口:正面本宮拝殿の西側(向かって左奥)、こころの小径から入る。小径に入れるのは9:00~16:00.
  • 出口:正面本宮拝殿の東方向(向かって右の社務所、さらに熱田会館を通り過ぎる)
写真:心の小径案内板、正面拝殿の西側に設置してあります。

パワースポットその他を訪ねてみましょう。

正面拝殿

・・・三種の神器「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とする天照大神(あまてらすおおみかみ)=熱田の大神を祀る本宮です。

一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)

・・・天照大神の荒魂(あらみたま=強いエネルギー)を祀ってあります。

参拝後には、強いエネルギーをもらった気になるので不思議です。

写真:一之御前神社は、真っすぐ行った突き当りです。

熱田神宮の中でほ最も神聖な場所であるため、写真撮影は現在でも禁止です。

清水社(しみずしゃ)

・・・高い木々に覆われた熱田の森をさらに進んでいくと、石で囲まれた湧き水を蓄えた「お清水さま」です。

美肌と目にご利益のある湧き水は、女性に一番の人気スポットです。

当日も4~5人の女性の列ができていました。

 

彼女たちの様子から待ち時間がかかりそうなので、先ずは近くの楠の巨木(NO2)を訪れました。

写真:湧き水の中にある苔むした石は、楊貴妃の石塔の一部とされる。
写真:この水で肌を洗えばきれいになるといわれる、男性も多い(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

効能

・・・平家の武将・平景清(平の景清)が目の病気になった時に、ここの湧き水で目を洗って治った。

水の沸いている場所の中央にある石が楊貴妃の石塔の一部との説がある。

三度水をかけて祈願すると願いが叶うといわれている。

楠の巨木(NO2)

・・・たくさんの楠の巨木の中で2番目の巨木で唯一触れることができることで人気です。

太い根に直接タッチしてパワーをもらいました。

写真:唯一触ることのできる楠の巨木(NO2)

楠の巨木(NO3)

・・・3番目の巨木は、”こころの”小径”を出て手水舎の隣にあります。

 

写真(2023年1月):手水舎、次の写真は簡易御手水。

 

写真(2023年1月):手水舎の近くの参道に沿って簡易ですが、流水の手洗い場も設けられています。

弘法大師が手植えしたといわれており、現在は木の柵に囲まれています。

楠の木の中の空洞には蛇が住んでおり、毎日卵が供えられています。

卵を食べに来た蛇を見ることができたら金運UPといわれています。

金運UPに蛇の姿を携帯の待ち受けにと思いましたが、今回はチャンスはなしでした。またの日に訪れたいと思います。

写真:楠木の巨木(No3)、金運UP。

 

一番大きな楠の木は何処に?。

・・・熱田の杜で一番大きな楠の木の全容は、一般に目の触れることのできない結婚式場の中にあります。

幸先詣りが混雑せずに時間に余裕ができ、パワースポットを訪れることができたことはとてもラッキーでした。

「楠の御前社(くすのみまえしゃ)」

・・・夫婦の神様、西への参道に向かう途中にあるのがお楠さま)です。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)と言う国生み(くにうみ)神話で知られる夫婦の神様が祀られています。

参拝方法も独特です。本宮前の授与所で授与される小さな鳥居に名前と干支を書いて奉納すると願い事が成就されると言われています。

すべての始まり、安産と夫婦円満を祈願しましょう。

写真:「楠の御前社」安産と夫婦円満を祈願。

 

「南新宮社」境内唯一の朱塗りの社

 熱田神宮で唯一の朱塗りの社「南新宮社(みなみしんぐうしゃ)」は、疫病退散の神様として素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られております。

後期高齢者の仲間入りし、身体の衰えを感じ始めたこの頃です。

世界に広がるコロナ禍の鎮静と無病息災を祈りました。

 

写真:「南新宮社」祭神・素戔嗚尊、無病息災。

 

南新宮社と織田家の関係

・・・ひっそりとした旧参道沿いの南新宮社は、織田家の津島神社との関係が考えられます。

つまり熱田の祭りは信長の時代以降であり、この南新宮社の天王祭でした。

さらに、津島天王祭同様の巻き藁船が出る現在の「堀川祭り」に引き継がれています。

 

「別宮 八剣宮発見宮(べつぐうはっけんぐう)」。

・・・仕事運や勝負強さ。お楠さまから西へ参道を横切ると広場のようなところにやってきます。

その北側にあるのが織田信長や徳川家康らによる修造や作り変えの記録が残っている「別宮 八剣宮(べつぐうはっけんぐう)」です。

祀られている祭神は本宮と同じ熱田大神です。

武士たちからの信仰が厚かったこともあり勝負強さや仕事運のご利益があるといわれます。

 

写真:別宮 八剣宮・・・仕事運・勝負強さ。

 

「上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)」と初えびす。

・・・学業成就、祭神様の乎止與命(おとよのみこと)は、知恵の文殊様と呼ばれています。

学業成就のご利益があるとして受験シーズンには大勢の人が参拝に訪れます。

 

写真:左から、事代主社・上知我麻神社・大黒主社。

 

桶狭間の戦い時の信長と上知我麻神社。

・・・桶狭間の戦い時、信長が鷲津砦陥落の煙を海越しに見たという上知我麻神社の位置が判明しました。

今は現参道入口西側にありますが、当時はもっと南の海岸近くにありました。

そこは旧東海道が神宮と熱田湊へと左右に分かれるところ。

この場所へ行き、信長の気持ちを感じるのも一興かと思います。

「大国主社(おおくにぬししゃ)」。

・・・商売繁盛・家内安全、大黒様が祀られています。

「事代主社(ことしろぬししゃ)」。

・・・商売繁盛・家内安全、恵比須様が祀られています。

境内を同じくして、写真の左側に「大国主社(おおくにぬししゃ)と「事代主社(ことしろぬししゃ)」が存在します。

初えびす

・・・毎年1月5日の「初えびす」の時は、この上知我麻神社境内が大混雑になります。

午前0時からはじまるにも関わらず、一番札や福熊手を求める人々でごった返すので、多数の警官が配備されます。

<奇習>お札を頂いて帰る途中で寄り道をすると福が逃げるというので、知人に会っても口をきかず一目散に帰宅するという奇習もあります。

 

「くさなぎ広場」

・・・令和三年七月一日オープン、「剣の宝庫 草薙(10月3日にオープン) 」と売店「宮きしめん」・参拝記念品・名古屋の銘菓などの特設コーナーもあります。

東海道五十三次の宮宿をイメージした帆船と南池神に渡した回廊が特徴的な熱田の杜の憩いの空間です。

写真:「くさなぎ広場」入口、正面「宮きしめん」、その左側が「剣の宝庫 草薙館]。

「剣の宝庫 草薙館」開館

草薙広場の一角に「剣の宝庫 草薙館」が令和三年十月三日に開館しました。

収蔵刀剣・展示方法

 熱田神宮が所蔵する約450口の刀剣の中から、国宝である来国俊の短刀をはじめ、国の指定品は20口を数え、また、12口が県の指定を受けています。

これらの刀剣の数々を270°の半円形ガラスケースで展示する刀剣展示館です。

草薙館ではこれら名刀の数々を随時入れ替え展示公開します。

 

写真:「剣の宝庫 草薙館」、令和三年十月三日に開館しました。

写真:剣の宝庫 草薙館(内観)。

 

展示内容(入場パンフレット参照)

 

  • 拝観案内:午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)。
  • 拝観料:草薙館のみ、大人500円・小人200円。
  • 拝観料:宝物館と共通、大人800円・小人300円。

 

  • 左一口:重要文化財、越前康継 越前 江戸時代
  • 中一口:重要文化財、長谷部国信 山城 南北朝時代
  • 右一口:国宝、来国俊 山城 鎌倉時代
写真:左・霊剣図、中・展示中の刀剣、右・各部の名称。

 

刀剣女子におすすめ、刀剣体験コーナー。

・・・真剣を実際に手に待ったことがありますか?

刀剣体験コーナーに立ち寄ることをお勧めします。出口の手前、左側にあります。

刀剣会館で刀剣を観賞後、そのまま真っすぐ出口に向かわれると気づきませんのでご注意ください。

写真:体験コーナー入口は、出口手前の左側にあります。

 

写真:大刀・小刀、2か所で体験できます。

 

 

 

 

 

 

         

刀剣体験コーナー体験感想。

私の前に並んでいた女子が、入口にある小刀の体験で、感激ひとしおの様子でなかなか離れませんでした。

そこで、私は体験コーナーの奥にある大刀を持つ体験をしました。

百聞は一見にしかず、と言うことわざがあります。まさにその通り、刀を見ると持つとは大違いでした。

大刀はとても重かったです。昔の人は戦の時、こんな重いものを待って大立ち回したのか!

とんでもない基礎体力を備え、日頃鍛錬していたんだと認識しました。

真柄の大太刀と真柄十郎座衛門

・・・織田・徳川軍と浅井・浅倉軍の死闘を描いた姉川合戦図屏風があります。

そこに、ひときわ長い刀で戦う武将が画かれています。日本一の大太刀使いとして勇名をはせた武将、真柄十郎左衛門です。

匂坂式部に大太刀を振りかざす十郎左衛門が登場しています。

古今を通じて最も大きな太刀を実践で使った、十郎左衛門を今に伝えています。

写真:写真:姉川の合戦図 屏風(福井県立歴史博物館 蔵)、真柄太刀を持つ真柄十郎左衛門。

真柄十郎左衛門は、天文5年(1536年)に生まれました。

朝倉義景の客将となり越前味真野真柄(現在の越前市)に居館を構えました。

十郎左衛門は、越前の刀匠千代鶴国安の作による五尺三寸(160センチメートル)もの大太刀「太郎太刀」で戦ったことで知られました。

身長2メートル、体重200キロ以上だったと伝わっています。姉川の合戦については宝物館に記載します。

宮きしめん

草薙館と隣接しているのが「宮きしめん 神宮店」です。

熱田神宮の宮司さんにもらって付けたという宮きしめん。

大正12年(1923年)創業のきしめん製造会社である宮商事株式会社が営む老舗のきしめん店です。

種類はいろいろありますが私は、「宮きしめん」(700円税込)を注文しました。

だしと醤油がベースの赤つゆ、名古屋人定番をおいしくいただきました(笑)。

写真:かまぼこの”宮”の字がつゆに埋もれてしまったのが残念(😢)。
写真:メニューは、思ったより豊富(ランチ・カレーなど)です。

佐久間 燈篭

日本三大燈籠、熱田神宮の「佐久間燈籠」(高さ10m)は御器所城の城主、佐久間盛次の四男、佐久間勝之が献上しました。

奉納者 佐久間勝之は、寛永7年(1630年)海難に遭った際、熱田神宮に祈ったところ、その加護によって救われたことに感謝して寄進しました。

なお、同じ佐久間勝之寄進の「南禅寺の燈籠」、「上野東照宮の燈籠」とともに日本三大燈籠に数えられています。

写真:佐久間燈篭日本三大燈籠、「くさなぎ広場」入口案内板の後方。

 

二十五丁橋

名古屋で最古の石橋とされ、渡橋できるようになりました。美しい橋の石軸組の構成美を感じます。

名前の由来

名古屋甚句で名高く、板石が25枚並んでいることから二十五丁橋と言われています。

名古屋甚句の内容

甚句には「宮の熱田の二十五丁橋で 西行法師が腰を掛け 東西南北見渡して、これほど涼しい此の宮を たれが熱田と名を付けた」とあります。

 

写真:「二十五丁橋」橋の石軸組 構成美、橋桁を湾曲にして加重の分散を図っている。腐食防止のため、当時の木造りの技を石造りに導入、切磋琢磨の跡がありありと推察される。・・・一級建築士・櫛田諄造氏解説。

 

信長塀、キムタク参拝

信長塀

・・・日本三大土塀として、三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀の中でも秀逸な建造物です。

信長塀、筆者が熱田神宮の境内の中で最も感銘を受けた建造物です。何回観ても見飽きません(笑)。

460年前の築地塀の凛とした姿が熱田神宮を取り巻くように残っています。

写真:日本三大土塀の中でも、デザイン性耐久性は際立っています。

信長塀の由来

織田信長が永禄3年5月19日(1560年6月12日)、桶狭間の戦いに際して、戦いに臨む前の事でした。

熱田神宮に戦勝祈願をし、見事に今川義元を討ち果たし歴史的な勝利を収めたため、そのお礼に築地塀を奉納しました。

当時の先人たちの、知恵・技が詰まり特に瓦ぶきの屋根を設けたデザインポリシーが、大きく耐久性を強化しました。

土塀(築地塀)で、斬新でクールなデザイでしかも強固であります。
当時の職人が、技術の粋を尽くしたに違いありません。。

また、これら優れた土塀を戦勝祈願のお礼として寄進した織田信長は、優れた人物だったと思います。

構造

コンクリートがない時代、瓦を力骨に粘性土と石灰を油で練り固めて強固にしてあります。

さらに、壁面は、下部を膨らませ安定を図り、安全性を高めた合理的な構造物です。

デザイン的

瓦の小口と粘土の組み合わせ素朴な色調、粘土の崩壊を防ぐ瓦屋根が機能的な美しさを醸し出しています。

当時の信長が高いセンスの持ち主であったと想像できます。・・・構造・デザイン評は、一級建築士・櫛田諄造氏解説。

写真:信長塀、450年以上の年月風雨にもびくともせず”熱田神宮を守る信長の心意気”を感じます。 

 

写真:神宮西側、自動車お祓い入口正面の信長塀。

 

信長塀、筆者が熱田神宮の境内の中で最も感銘を受けた建造物の中の一つです。参拝の度、何回観ても見飽きません(笑)。

 

信長塀と同時に奉納した「八脚門」

桶狭間の戦いの当日、信長は熱田神宮で戦勝祈願をしましたが、勝った後に今も残る信長塀ともう一つ奉納しました。

もう一つは、神宮の海蔵門を八脚門に改造して奉納しました。しかし、あまり知られていません。

それは、大戦の空襲で焼失してしまいました。それでも門の八つの碇石は今も信長塀の脇に残っています。

写真:全長400m、瓦を厚く積み重ねて作られた日本三大塀の一つ信長塀の手前側と奥側にある石が海造門の碇石です。(No.243号ローズ、中日新聞)

キムタク信長、熱田神宮参拝(映画ヒット祈願)

写真:映画のヒット祈願のため熱田神宮を参拝する(右から)伊藤英明さん、木村拓哉さん、大友啓史=21日。

 

・・・戦国武将織田信長と正室の濃姫の人生を描く映画「THE LEGEND&BUTTERFLY(レジェンド&バタフライ)」が27日に公開されるのを前に、

信長を演じる俳優の木村拓哉さんらが21日、信長ゆかりの名古屋市熱田区の熱田神宮で映画のヒットを祈願した。

信長は、桶狭間の戦い(1560年)に向けて熱田神宮で必勝を祈願したとされる。

木村さんと俳優伊藤英明さん(濃姫の侍従・福富平太郎貞家役)、大友啓史監督は、本宮でお祓いを受け、玉串を奉納。

真剣な表情で手を合わせた。信長が戦いに勝ったお礼に神宮に寄贈したという土塀「信長塀」も見学した。

木村さんは「当時からある空間で今自分が参拝でき、清められた感じがした」と感慨深げ、伊藤さんは「岐阜市出身でノブナガファン。

熱田神宮にも特別な思い入れがあるので、参拝できてよかった」と話していた。

参道では、人気俳優の突然の登場に参拝客らの人だかりができた。

歓声が上がり、スマートフォンでの撮影に夢中になっていた。(2023/1/22日、中日新聞)。

宝物館、その他。

国宝、奈良正倉院は本丸太による校倉造。

写真:宝物館<校倉造り>

真柄太刀

宝物館、入ってすぐ「真柄太刀(まがらたち)」と呼ばれる大太刀があります。

刃長221.5cmもあり通常の太刀の約3倍あります。元亀元年(1570年)の姉が得輪の合戦で戦死した真柄十郎左衛門が使っていたもの。

写真:「真柄太刀(まがらたち)」

真柄十郎座衛門

真柄十郎左衛門は、天文5年(1536年)に生まれ、朝倉義景の客将となり越前味真野真柄(現在の越前市)に居館を構えました。

身長2メートル、体重200キロ以上だったと伝わっています。姉川の合戦についての活躍は姉川合戦図絵巻に描かれています。

姉川合戦と真柄十郎左衛門

写真:姉川の合戦図 屏風(福井県立歴史博物館 蔵)、真柄太刀を持つ真柄十郎左衛門。

 

永禄11年(1568年)、足利義昭は織田信長とともに上洛。15代将軍となりました。朝倉義景は信長の再三の上洛要請を拒否しました。

浅井長政は同盟関係にあった信長を裏切り、元亀元年(1570年)6月、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が戦う合戦に至りました。

この姉川の合戦に、大太刀を実践で使ったエピソードが残っています。

徳川軍は朝倉軍の側面を攻撃。大将・朝倉影健が危機に瀕しますが、十郎座衛門は大太刀を振り回し奮戦しました。

田んぼを耕したように屍が転がったといいます。その後、本多忠勝この進撃を止めに入り、入れ替わって匂坂式部ら4人が攻撃しました。

十郎座衛門は「唯4人で我に向かうは殊勝なり」と応戦しました。

奮戦の末、鎌槍で掛け倒され、最後は「あっぱれなり、いざ鬼真柄の首を捕って武士の誉とせよ」と首を献上して果てたといいます。

真柄十郎左衛門と千代鶴神社。

真柄十郎左衛門の「太郎太刀」を制作した千代鶴国安を祀る神社です(越前市京町2-4、JR武生駅より徒歩10分)。

千代鶴国安は越前鎌の制作技術を発明し、地域の鍛冶屋に伝授したことから、越前打刃物の祖とされています。

 

2023年、新春特別展 美術品で初詣~熱田で諸社へも初詣(1月24日まで)

・・・各地の著名な神社の古絵図や伝来する国宝など百点近くが展示され、一度に参詣した気分が味わえる。

写真:展示されている名所図屏風。(2023/1/6日、中日新聞)。

 

「四天王寺住吉大社図屏風」

大阪市の四天王寺と住吉大社が参詣客でにぎわう様子が一対に描かれ、

胡粉と金箔でかたどられた金運が華麗さを際立たせている。

「黒漆平文飾剣」

直刀からそりのある日本刀への過渡期を示す鋒両刃(きっさきもろば)造りの「黒漆平文飾剣」(くろうるしひょうもんかざりたち)など、奈良市の春日大社が所蔵する国宝も並ぶ。

<特別講演会>1月21日、PM2:00~(神奈川大准教授:平山昇氏)。

今回の特別展に合わせ、21日午後2時から熱田神宮文化殿講堂で、神奈川大の平山昇准教授が、

「戦前期名古屋の初詣~鉄道とメディアの観点から~」と題して講演する。聴講無料。

内田雅之学芸員は「徒歩が移動手段の主体だった昔は、

庶民は名所図会や行商人からの情報をもとに有名神社への憧れを募らせていた。

現在とは異なる神社と人々の姿を眺めることで、時間旅行も楽しんでもらえたら」と話している。

東京新橋より横浜間で鉄道路線図

写真:明治時代、西尾市岩瀬文庫蔵。

 

初詣。新春を寿ぎ、神社の詣でて気持ち新たに神前で一年の息災を祈願します。

しかし、遠方へ初詣という風習は新しく、それ以外は家を清浄にして歳神さまを迎えたり、

地元の神様を迎えたり、することが主体でした。当時の移動手段は自らの足や蔦籃・馬で、

遠出も容易ではなく、それを一変させたのが鉄道の出現です。

1872(明治5年)年、新橋-横浜間で鉄道が開通、その後鉄道網の発達で、遠方への移動が可能になりました。

この図は新橋から横浜までの鉄道敷設図で、鉄道はわれわれの暮らしが変わった一つの転機でもあったのです。

清水・住吉図蒔絵螺鈿西洋双六版

写真:重要文化財・桃山時代、サントリー美術館蔵。

 

皆さんは「松」「反橋」「鳥居」の三つの単語から何を連想しましか。

写真は現在でいうボードゲーム。二つ折りの蓋を広げると内側にはゲームで使用する盤面が現れます。

蓋には黒漆地に蒔絵や螺鈿(らでん)を用いて右に示したアイテムが描かれています。

これにより大阪市の住吉大社を現したものと分かるのです。

室町時代、南蛮貿易が盛んになると、わが国の漆芸品が西洋で羨望の的となり、

「南蛮漆器」と称される工芸品が多数輸出されました。

遠く離れた異国に思いをはせてゲームを楽しんだ西洋人が想像できます。(学芸員 内田雅之)。

 

拝観料は、大人900円、高大生600円、小中生300円(「剣の宝庫 草薙館」との共通割引あり)。(2023/1/6日、中日新聞)。

(ご参考)2022年、新春特別展 足利将軍家・三英傑と熱田神宮(1月25日まで)。

 

写真:宝物館、新春特別展案内板。

織田信長 黒印状

・・・恒例のお祓いと、お下がりの、のしアワビが届いたことに対して、織田信長が熱田神宮の権宮司に宛てた謝礼の文です。

写真:室町時代 熱田神宮蔵

文書の後半には、「近日三州表に至る出張の条」とあり、これは武田勝頼と戦った長篠の合戦を指すものと思われます。

当時岐阜に居城が中あった信長。長篠に赴く途次、熱田神宮に立ち寄り、権宮司であった田島仲安に面談したい旨も記されています。

無神論者とも評される信長ですが、これらの書状からも神仏に対して畏敬の念を抱いていたことがうかがえます。(熱田神宮宝物館学芸員 内田雅之)。

馬場家文書 巻第四(県文化財)

・・・尾張藩士の佐枝種長が熱田神宮神官の大宮司の千秋季盛(すえもり)と権宮司の馬場光仲に宛てた書状です。

写真:江戸時代 熱田神宮蔵

どうやら駿府にいる御所様(徳川家康)より、熱田の豚を所望する旨の文書が夜の間に種長のもとに届き、急いで大きい豚を二、三匹用意するよう求められたようです。

日付の脇にあえて「辰刻」(午後7~9時)と記されていることから、その緊急性がうかがえます。

憶測の域を出ませんが、家康は幼少の折、織田家の人質として熱田に身を寄せていました。

その際、熱田の豚に舌鼓を打ったのでしょうか。興味深い内容の文書です。(熱田神宮宝物館学芸員 内田雅之)。

有力者から寄進された所蔵品や関連する文書。

足利義政ゆかりの重要文化財で格子と枝菊の文様が美しい木製の「菊蒔絵手箱」や、松林が描かれた扇など約10点あります。

ほかにも、織田信長が神宮のお祓いを受けたことに対する謝礼の文書や、江戸幕府の五代将軍、徳川綱吉から送られた白地や薄紅色の装束もあります。

<特別講演会>1月22日、PM2:00~(学芸員:内田雅之氏)。

写真:「熱田神宮・創祀千九百年」など足利将軍家と三英傑に関する会場。

 

(ご参考)秋季企画展「熱田神宮の名宝」を開催

<その1>

剣の宝庫 草薙館 開館を記念して、令和3年10月1日~10月26日に開催されました。

熱田神宮に収められている六千点の中から国や県の重要文化財など約八十点を展示しています。

室町時代に足利義政が寄進した菊と格子の文様を施した「菊蒔絵手箱」や、金箔を押したきらびやかな木像の舞楽面「陵王」と「納曽利」のほか、蒔絵鏡箱などが注目を集めています。

桐鳳凰蒔絵 鏡箱

重要文化財「桐鳳凰蒔絵 鏡箱」(きりほうおうまきえかがみばこ)について、以下2012/10/7・中日新聞記事。

室町時代、当神宮の神様に捧げられた鏡を収める鏡箱です。蓋の表には桐谷竹、また鳳凰が描かれています。

鳳凰は誰もが知る瑞獣(ずいじゅう=めでたい生き物)と言われ、桐樹(とうじゅ)に降り、竹の実をついばむといわれています。

鳥と言わず「生き物」と称したのは、諸説ありますが、頭は鶏、首は蛇、背中は亀、尾は魚からなるからです。

当神宮の神紋は「桐竹紋」であることもあり、悠久の歴史を誇るわが国・国民をお守りする神様に捧げられるにふさわしい構図で、

神様も魅了されたことでしょう(学芸員 内田雅之)。

写真:パンフレット右上・下(身)「桐鳳凰蒔絵鏡箱」、下段中央・木造の舞楽面「陵王」
彩絵檜 扇

重要文化財「彩絵檜 扇」(さいえのひおうぎ)について、以下(2021/10/8・中日新聞記事)。

室町幕府八代将軍足利義政より、当神宮の神様に奉納された扇です。厚さ1ミリの檜を36枚重ねたもので、表裏とも胡粉地(ごふんじ)に吉祥の図柄が描かれています。

我が国は目に見えない神様を畏敬の念をもってあがめてきました。

仏教伝来以降、神様を祀る社殿を建て、みのまわりの調度品をささげようとしますが、神様の大きさが分かりません。

先人は悩んだ末に、人より大きいだろうと考え、一回り大きいサイズの調度品を制作し、奉納しました。

私どもも扇子、うちわを用いますが、その大きさの違いを、ぜひ来館いただき実感してください(学芸員内田雅之)。

写真:「彩絵檜 扇」(中日新聞)。

同館の内田雅之学芸員は「伝統文化の技法とともに、神様が見て楽しんだものを共有してもらえたら」(2021/10/10中日新聞)。

  • 宝物館単館券:大人700円・小中生300円
  • 草薙館共通券:大人1000円・小中生400円

草薙館も拝観を予定される方は、草薙館を先に拝観したほうがお得ですね。下記は、草薙館の拝観料を参照ください。

  • 草薙館のみ:大人500円・小人200円
  • 宝物館共通券:大人800円・小人300円
写真:舞楽面などえりすぐりの名宝が並ぶ会場(中日新聞)

 

<その2>

熱田神宮剣の宝物館、令和4年9月30日~10月25日に開催されます。

1900年余りの歴史を持つ熱田神宮には、皇室や将軍。藩主らから寄贈された約6000点の宝物が残されている。

その中から選び抜いた刀剣や和鏡、古文書、仮面など幅広い種類の約70点を並べた。

鎌倉時代の国宝「短刀銘来国俊」は美しく刃をきらめかせ、江戸時代の国重要文化財の脇差は表に竹、

裏に梅の木が彫られるなど、見応えのある刀剣の数々を展示。

舞楽でが使われた木造の面、松竹鶴が表現された鏡なども目を引く。

展示を担当する神職岡地雄太郎さん(32)は「過去の宝物から、

寄贈した人が込めた思いを感じ取ってもらえば」と話した。

開館時間は午前9時~午後4時半。大人700円、小中学生300円。(2022/10/1付、中日新聞)。

七五三「福笹飴」

写真:七五三参りの季節を前に、仕上げ作業が進む福笹飴(2022/9/9、中日新聞)。

その1.

七五三の参拝時期を前に、巫女らが「福笹飴」の準備を進めました(2021/9/25・中日新聞)。

福笹飴は、生命力が強いとされるササに紅白の飴や魔よけの土鈴などをくくりつけたもの。一般的には、ちとせあめと呼ばれています。

今年は一万七千本を用意し、自分で楽しんでもらえるよう熱田神宮について紹介するシールブックも付けました。

特別祈祷を受けた子供らに配るほか、一本千円で授与する。七五三詣りは例年、十一月上旬にピークを迎えます。

新型コロナウイルス感染防止のため、熱田神宮は参拝時期が分散するよう、例年より長い十二月上旬まで特別祈祷を受け付けています。

その2.

熱田神宮で2022年9月8日、七五三の縁起物「福笹飴」を仕上げる集中作業があった。

一般には「千歳飴」と呼ばれ、今年は一万六千五百本作るという。

この時期は主に巫女が絵馬や鈴が飾られたササの小枝に飴が入った袋を括り付けて仕上げているが、

この日は同神宮職員の妻らでつくる「敬神婦人会」が加わって計40人で作業、四千本ほどを完成させた。

同神宮は、9~11月の七五三の参拝客を25万人と見込む。

飴の授与には千円が必要。担当者は「11月に集中するので、時期をずらして参拝を」と話した。

 

 

正月の縁起物「破魔矢」

2023年

写真(2023/12/6):正月の縁起物「破魔矢」を仕上げる作業、熱田神宮文化殿講堂

 

来年のえと「辰」にちなむ竜の絵馬を赤いひもで結び付け、約9千本を完成させた。

宗教団体の敬神婦人会を中心に、約100人が作業。文化殿の講堂に次々と完成した破魔矢が積み上げられていった。

この作業は8月から始まり、出来上がったのは計約6万6千本。今月1日から授与が始まっている。

婦人会の副会長堀内美芳さん(77)=同市瑞穂区=は「点に上る竜のように、

皆さんが元気に新しい年を迎えて幸せになってほしい」と願いを込めた。

昇竜のごとく勢いに乗り、2024年の運河開きますように。(2023/12/8日付、中日新聞)。

熱田神宮の規模

熱田の森「概要」面積19.1ヘクタール(191平方メートル)は、名古屋ドーム104平方メートル、約2個弱。

森を守り、子々孫々へ!

「熱田神宮」特別緑地保全地区です、名古屋市より。

格式

伊勢神宮に次いで格式の高い「熱田神宮」です、歴史的な建造物の面白さも豊富なスポットです。

三種の神器「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)とする天照大神(あまてらすおおみかみ)=熱田の大神を祀る本宮です。

一般開放

熱田の森は2012年12月から一般開放され、、従来非公開であった場所が整備されました。

以後数多くのパワースポットに訪れることができる自然豊かな人気の場所となりました。

一生に一度の結婚式に、合格祈願、普段の散歩にデートの場所に、市民に親しまれ、愛される場所であります。

近年情報

神宮内施設

2021年は、7月の「くさなぎ広場」に次いで、刀剣女子には嬉しい「剣の宝庫 草薙館」が10月にオープンしました。

皆さまのからの情報も合わせ、まだまだ記事も充実させたいと思いますので、ご声援宜しくお願いします。

熱田区役所主催イベント(2021/11月~2022/2/25)

クイズラリーイベント「謎解き歴史めぐる!英雄伝説」。

白鳥古墳や誓願寺、熱田神宮内の信長塀など八か所の名所を紹介しながら、その地や歴史上の人物にちなんだクイズをそれぞれ一問ずつ出題。

ヒントもあるが、「門の近くにある図形を見つけて数えてみよう」などと実際に訪れないと分からない内容だ。

クイズが載った冊子は、熱田区役所や名古屋駅構内の観光案内所などに設置。区のホームページからも入手でます。

冊子には日本武尊や楊貴妃、源頼朝などのイラストのほか、講談師の旭堂鱗林さんと、街おこしの有志団体「あつた宮宿会」の鈴木瑛司さんへのインタビューも掲載しています。

謎を八問すべて解いた人には、参加賞として日本武尊のイラスト入りミニタオルを先着五百人にプレゼントします。

全問正解した場合は抽選で50人にオリジナルクオカードが当たります。

抽選申し込みは、2022年2月25日まで。問合わせ:熱田区地域力推進室(TEL:052-683-9425、篠塚辰徳)。(2021/11/27付、中日新聞)。

御大典奉祝記念事業の完了

・・・玉砂利を踏みしめながら檜の鳥居をくぐると、左右に広がる大前広場。

眼前に見えるのは銅板屋根の本宮・拝殿。石段を上がり、二礼、二泊手、一礼・・・。千九百年余も続けられる大神様への人々の祈りです。

三種の神器の一つである「草薙の神剣」を祀り、皇室より篤い崇敬を賜っている当神社は、令和の御大典、平成から令和への御代替わりを奉祝し、境内の改修整備に努めてまいりました。

そして迎えたはじめての春。あつたの杜は皆さまをお待ちしております。(2022/3/19付、中日新聞)。

  • くさなぎ広場及び同売店、剣の宝庫 草薙館…新設。
  • 佐久間燈籠・二十五丁橋・・・整備。

番外編、市民の声コーナー

熱田の森と生きる(名古屋市内南区道徳在住 櫛田諄造氏 寄稿)

私は昭和8年、名古屋城の近くで生まれた。

幼い頃、まだ城下町の風情が残る街を、父と散歩中、この幅広な道をどんどん進むと、三種の神器で名高い「草薙の剣」を祀る、熱田神宮に行き着く、と教えられた。

ある日、ふと思い出し、古地図で確かめ、旧・東海道「熱田宿」と中山道「垂井宿」を結ぶ、幹線道路の、旧「美濃路」であることが解った。

熱田神宮は、この辺りから伸びる標高20メートルほどの、熱田大地の南端に位置し、遠くに伊勢・鈴鹿の山並み、近くに広大な干潟と、帆船が往き交う、海原を望み、熱田湊・熱田宿・七里の渡し場を見下ろす、絶景を前にして、生い茂った森の中に鎮座していたと、推察した。

太平洋戦争が激化し、わが家は、名古屋市大空襲で、名古屋城とともに炎上焼失し、昭和20年8月15日の終戦を機に、昔、干潟であった干拓地の一画「道徳地区」に、移り住み、自給自足で食糧難を凌ぎ、伊勢湾台風の高潮被害にも耐え、家族全員で、精一杯生きてきた。

コロナ禍の中、今年は道徳発祥200年に当たり、記念事業に参画することができ、地域に愛着がわいてきた。

さらに「熱田の森」には、近づき、今更ながら、恵まれた環境であることに、気が付いた。

昨年「こなみ会だより・54号」に、生き甲斐にしている水泳を100歳まで続ける、大きな夢を発表した。

「こなみ会」=名古屋市高年大学南区のOBで結成する愛称です。現在100人ほどで地域社会に色々ボランティア等で貢献しています。

それには「有言実行」まず「直立二本足歩行」が、基本であると思い、コロナ禍の中、昨年秋から「熱田の森」散歩に挑戦し、1年が過ぎ、体になじんで来た気がする。

「熱田の森」は名古屋ドーム2個分程の敷地に広葉樹が生い茂り、静寂に包まれた、オアシスとして、参拝者以外に、一般市民からも親しまれている。

特に早朝、四季折々、朝日の輝き、樹木の表情、鳥の囀り、空の景色、古い遺跡を眺めながら、散歩する「熱田の森」は私を包み、幸福を感じさせてくれる。

ある朝、散歩中偶然にも、美しくリズミカルな歩行の地域友人と、ばったり対面した。

しかし歩行については、多くは語らず、互いに「切磋琢磨」し合い、良い意味の競争意識で、健康寿命を延ばすことに意義がある、暗黙のグータッチをした。

今、この原稿を書きながら、この灯が消えないよう「熱田の森」の散歩を続け、初期の目的、「100歳まで泳ごうーー」と強く決意した。

「熱田の森」がいかに櫛田様の人生と関わり、共に歩んで来られたか、そして「熱田の森」に敬意と感謝を抱いておられることが伝わってきます。

櫛田様の寄稿に感謝しますとともに、ご健康と所期の目標の達成を祈願申し上げます。