本展主催者の山田彊一氏が、京都三十六の名所にまつわる伝承やうわさに妖怪のにおいを感じ、独自の空想を加えて執筆した著書「京都・妖怪三十六景」に掲載された絵画の原画展を開催されました。
今回の原画展は、京都での展示活動の後であり、主催者の活動拠点である名古屋に戻ってからの原画展となりました。
原画展は盛況のうちに終了しましたが、京都・妖怪三十六景の本は、史実を背景に興味深く展開しております。
下記、表紙絵<13景>安部晴明と式神(安部の晴明神社)に登場する安部晴明と式神。式神=人には見ることができなくて、晴明の手先となって働く透明で小ぶりの精霊。
安部晴明は平安時代の宮廷の陰陽寮の役人で天体を観測し、占いや祈祷をする陰陽師の一人でした。
一説では父親の安部益材が狐を助け、そのお返しで狐が美女に化けて益材に近付き生んだ子が晴明とも言われる。
晴明はその母から鳥獣の声を聴ける技を習得し、幾多の妖術合戦に勝利したり、悪霊を調伏して人命を救ったりして名声を得、当代随一の陰陽師となりました。
晴明が行った事の一つに三井寺の高僧の話がある。高僧の智興が重病になった折、晴明は「誰か身代わりになれば治るかもしれない」と告げました。
身代わりを申し出た弟子は、その心意気に感銘を受けた不動明王によって命を救われる。これらのことで晴明の名声はますます高まりました。
晴明がこの時代に85歳まで生きたのは、疫病鬼を撃退し人の寿命も操る泰山府君のおかげだろうか。
彼は陰陽道の最高奥義「泰山府君の祭」の秘儀の創設者とも言われています。
又晴明の家紋は、火・水・木・金・土の5元素から取った五芒星で晴明は影武者である式神を操ってことを成就する。
狐火のひげを蓄えた安部晴明が五芒星から取り出した式神によって数々の奇跡を起こそうとしているところ。・・・著者、絵・文。
泰山府君際(たいざんふくんさい)=壤災・延命の神である、泰山府君を主神に行う陰陽道の祭儀。
災壤(じょうさい)=災いをはらい除くこと。
表紙絵(13景安部晴明と式神)
私事実は、妖怪に関してはのめりこむほどの興味は無かったのですが、著者から「京都・妖怪三十六景」の贈呈を受けたこともあり、読み始めたところ、歴史の背景も語られ非常に面白い。
京都名刹・歴史上の人物が登場し、史実と絡めそれにまつわる妖怪の逸話が興味深く、旅行好き・歴史好きの方々には、おすすめの著書と思い投稿しました。著者に大変感謝!しています。
<京都妖怪三十六景>一覧
第一章 外国人に人気の寺社とそこに潜む妖怪たち。<1景~12景>
- 伏見狐妖怪ランド、亡霊「三島由紀夫」、清妖怪映え蠅、石川五右衛門妖怪、前世骸骨妖怪
- 牛頭天王に乗ゑびす様、鷹に操られた信長・秀吉・家康亡霊たち、木魚達磨父子、恋竹髑髏、
- お今花妖怪(銀閣寺)、石庭妖怪ランド(龍安寺)、三面ねね弁天(高台寺)
<10景>お今花妖怪(銀閣寺)
銀閣を建てた8代足利将軍義政(金閣寺を建てた3代将軍義満の孫)の生きた時代は、応仁の乱(1467応仁元~1477文明9)など戦乱の世だった。
そんな中、周囲の取り巻きは義政の先々代の義教の恐怖政治とその末路を考慮して義政を「死なぬよう生きぬよう」お飾り将軍として育てたという。
義政は、幼少のころからお今という乳母に育てられ、性教育も受けていたらしい。
義政が将軍に即位してからも政治に口出しするほどで、義政を取り巻く三鷹(烏丸、有馬、お今)の一人といわれた。
瀬戸内寂聴の「幻花」や司馬遼太郎の「妖怪」でも取り上げられている。
義政が正妻日野富子を迎えて後、富子に男子が生まれるが、暫くして亡くなると、お今が呪い殺したという噂が広がる。
お今は琵琶湖の沖ノ島に配流となるが、途中で殺されてしまう。この濡れ衣による死はお今にとって相当無念であったはずで、妖怪となって富子一派を呪い続けたであろうと思われる。
その後、都には天変地異が続き餓死者があふれ、政権内部の抗争から応仁の乱も勃発する。お今妖怪の祟りであろうか?
うち続く混乱に嫌気のさした義政は、政治から距離を置いて自分の世界に入り込み芸術三昧の隠遁生活を始める。
義政は、義満の華やかな北山文化に対して、幽玄の美を重んじた東山文化を作り上げた。それはのちのわびさびの文化につながっていく。
室町時代は茶華道文化も発達し、花を生ける目的が仏に捧げる供花から部屋を飾り花をめでることに変わったという。
庭に花を植えて観賞するという花壇の考えもここから出発点と言われる。今でもここの庭の一角は季節の花が咲き乱れている。
著者曰く、2019年6月に銀閣を訪れた折、僕は庭の苔の中に一本だけ凛と立つ10㎝程の真っ白い少し太めのキノコを見つけた。
みな見死して通り過ぎる中、そのきなこのような花は僕に何か訴えかけてくるように思われた。
お今妖怪が花になったかもしれない。その白い妖怪花は裾が広がり、それが足にも見える。
この千足観音のような足で今も義政の後を追っているのだろうか。純白のふっくらした妖怪花は、お今の白い肌を僕に連想させた。
庭を散歩する義政に。お今はこのようにして語り掛けていたのだろうか。
今回の作品はこの白いキノコをお今花妖怪として仕上げてみた。・・・著者、絵・文。
第二章 歴史秘話が面白い小寺院とそこに潜む妖怪たち。<13景~24景>
- 安倍清明と式神(安部清明神社)=表紙絵を参照、土蜘蛛妖怪(吉田神社)、念仏白象(養源院)、鉄輪橋姫と和泉式部(貴船神社)
- 信長を消した三本足蛙(本能寺)、若冲の妖怪鳥(錦市場)、地獄へ行った地蔵妖怪(矢田寺)、清少納言 三色団子妖怪(誓願寺)
- 妖怪閻魔大王(引接寺千本閣魔堂)、刀剣女子を操る天目一個神妖怪(粟田神社)、お礼脱皮妖怪仏(西往寺)、百鬼夜行付喪神(大将軍八神社)
第三章 日本人が愛する大寺院とそこに潜む妖怪たち。<25景~36景>
- 怨霊・崇徳上皇(仁和寺)、別雷大神と武射神事(上加茂神社)、鞍馬大天狗妖怪(鞍馬寺)、探幽巨大妖怪龍(妙心寺)、
- 怒る牛神と道真(北野八幡宮)、梵鐘に化けた家康(知恩院)、利休妖怪(大徳寺)、宗旦狐妖怪(相国寺)、妖怪バスター空海(東寺)
- 阿弥陀を吐き出す空也上人(六波羅蜜寺)、一目妖怪産霊神(下賀茂神社)化野白骨妖怪(化野白骨妖怪(化野念仏寺)
<31景>利休妖怪(大徳寺)
利休の墓のある大徳寺、秀吉によって切腹を申し付けられる原因となったのがこの寺の正門「三門・金毛閣」階上に置かれた利休の木像である。
大徳寺が利休の寄進に感謝して作ったということだが、この三門をくぐる者は下駄を履いた利休に踏みつけられる恰好になり、それが秀吉の怒りをかったという。・・・著者、絵・文。
<32景>宗旦狐妖怪(相国寺)
相国寺には千利休の孫、千宗旦にまつわる面白い逸話が残っている。「相国寺で宗旦の茶会が開かれ、出席した茶人や弟子たちはその見事なお点前に感動した。
その直後また宗旦が現れ、遅刻を詫びた。同じようなことが重なり、不審に思った弟子たちがよく見ると、一方の宗旦には尾が見える。
狐が宗旦に化けて茶をたてていたのだ。問い詰めると宗旦のあまりに見事なお点前に憧れ、近くの竹藪に住む狐が宗旦に変身していた」というのだ。
こんな逸話がどうして生まれたのだろう。天下人秀吉に自刃させられた祖父の最後を見て、彼が学習したのは派手にふるまうことをせず乞食並みの生活をし、清貧であることを周囲に魅せることだった。
その事で「乞食宗旦」と呼ばれることになる。その後1594年には秀吉が千家再興を許し、利休から召し上げた茶道具を宗旦に返した。・・・著者、絵・文。
京都・三十六景妖怪!よくも三十六話ごとに、それぞれの歴史上の史実・背景・人物を登場させ、それに絡んだ噂話をまとめた渾身の現場を感じる書物でした。
それに加え、全国的に絵の大家として知られる著者の奇想天外の発想と、確かな調査に裏打ちされた内容豊かな、文筆力・絵画力に感嘆させられます。
歴史好き・旅行好きな多々方には勿論、普段は特に妖怪に関心のない方々にも十分楽しんでいただける書物です。
なぜなら、教科書・旅行ブックにも載ってない、一歩踏み込んだ逸話が満載だからです。
お陰様で豊かな時間を過ごせました。執筆・絵画に尽力された、山田彊一氏に感謝!歴女におすすめの書籍です。